俺と某の電撃戦

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俺と某の電撃戦

理想は一撃必殺

よくドラマとかである「恨んでたりしてた人をうっかり殺してしまって焦る」っていうシチュエーションがあるけど、あそこまで焦ったり「やべぇ、やっちまった」ってなるのだろうかw。本当に恨んでるのならむしろ喜ぶんじゃないかと思ったけど、やはりいざ実際にその場面に直面するとそうなるのかも。
ちょっと目に入ったから「納得のいかない世の中の風潮」というのについて語ってみる。「不良が更生すると良く見える」「いつも掃除サボってる人がたまに掃除すると褒められる」というのはやっぱ成長・プラスの変化というギャップがあるからだろう。きっと人というのは初期状態での良い悪いよりそこからの変化というものに焦点が行くのかもしれないし、それがどん底からのスタートだと「成長への第一歩」という良い風に見えるからだろう。そして理系的な視点になるけど、横軸を「善行の頻度」縦軸を「良い人度」、傾きを「賞賛の度合い」とすると対数のグラフのようになってるのかもしれない。まぁでもそうしないとまた不良に逆戻りで面倒なことになりかねないこともあるから、賞賛しないといけないっていうのもあるのかもしれないな(あの記事にもそう書いてあったけど)。あと「高学歴やイケメンなどと褒められたときにどう返しても突っかかられる」というのは、もし俺が褒める側の立場でかつどんな返答でも突っかかるつもりでいたとするなら、それは回避不能の攻撃目的で褒めると思う。攻撃目的でなければ相手が喧嘩を売ってこない限りどんな返答でも突っかからない…つもり。まぁケチ付ける目的でこれ言われたらどうしようもねぇなって思うw。みんな自分と異なるのものは攻撃したいんだよ(´・ω・`)「動物好きかどうかでどういう人か見られる」はそこから自分をどう扱ってくれるかの指標として使えるから仕方ない。。「B型だと残念に思われる」は分からんw何とも言えん。世の中理不尽だべ。だからこそできるだけ(不特定多数の人に迷惑にならない範囲で)自分の好きなように生きたいね。
やっべ、久しぶりに長くなったw。暇な人だけ読んでくれればいいや。