俺と某の電撃戦

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私にとって怒りとはオーバーキル

正月三が日はホント何もしなかったな。というか何もする気が起きなかった。という事で今日はずーっとPCやスマホの壁紙探しをしてたんだが、気に入ったものは既に壁紙にし尽していてなかなかこれだッというのが見つからない。当然この3日間卒論なんて一文字も書いてない。現在進捗率6割程度なので明日には7割まで達したい。
甘ったれたことを言うかもしれないが、指摘や注意をする時は怒らないでほしい。下記のURLの記事にもあるようにミスがあっても普通に教えてほしい。普通に指摘されるだけでもかなりの罪悪感を抱いたり後悔するほど自分が悪い事をしたと十二分に分かっている、それだけの豆腐メンタルである。けどその上威圧されたら希死念慮が強くなって何もできなくなる。アドラー心理学では感情には目的があると考えられているが、もしその怒りの目的が「分からせたい」ならそれは普通に言っても達成されるんです、オーバーキルです。
もうすぐ院に上がって自分の下にも直属の学部生がつくが、下記の記事やそのまとめサイトを読んで絶対に無暗に怒り散らすことだけは止めようと思った。「俺も同じことされてきたから部下のお前も同じ苦痛を味わえ」は怒りと悲しみを生む。もし「されてきたこと」が必要なことなら、俺はそれが部下にとって少しでも苦痛にならないように考えたい。
最後に……誰から見ても明らかな怠惰があったなら話は別、怒られても仕方がない。
http://www.j-cast.com/kaisha/2012/12/26159672.html






あとちょっと思い出してしまったのでもう一つ↓。
下のツイートは俺も回転寿司に行くとよくある話なんだが、俺は正直な話どちらでもなかった。自分が注文したのに連なって同じのが流れてきても「ついでに作ったんだなw」で終わってた。それによって他人も同じネタが食べれてもこっちの知った事ではなく、それに対する嬉しさも怒りもない。ただ自分が食べたいネタが食えたという喜びだけである。むしろ注文した直後に注文したネタが流れてきた時の方が「もう少し待てばよかった」という後悔(回転寿司あるある)がある。しかしこれを知ってしまった今、画像右側の思考に誘導されてしまいそうw。