俺と某の電撃戦

旅行や書籍、グルメ、雑記等を自由奔放に書いてるブログです。

俺と某の電撃戦

電車とイスと謎の伝統

よく帰りの電車で座席に座れずに目的地まで着いてしまった時なんかによく「折りたたみの椅子を持参する」という発想をするんだよね。もちろんたくさん人が立ってる中で持参した椅子に座りだすのは迷惑だが、座席は満席だけど立ってる人はほぼ皆無って時は使えるんじゃないかって。でもこの発想したと同時にそれはダメだとも思う。問題は 自分で思っておきながら何故ダメだと思うのか、何故マイナスなイメージが思い浮かぶのかが分からない事。発想の勝利だろと思ったが、もし仮に自分の目の前でそれをやられたとしたら何故か良い気がしない。でもその良い気がしない理由が分からない。「俺達は立ってるのに一人楽しやがって」という理由ではないのは確か(もしそうだったら座ってる人全員にそう思うはず)。その行為自体が気分を害することなら、何故それで気分を害するのか。それを問い詰めるとまたここで思考がストップする。yahoo知恵袋やまとめスレ(ネタで)にも同じようなことを考えてた人がいたけど、結局具体的に何がダメなのかまでは分からんかった。ただ一つ分かるのは、モラルの観点であるということ。
このように最近よく…ってほどでもないけど、ふと「○○することは悪いことだということは知っている、でもなんで悪いことなのかが分からない」と思うことが少なからずある気がする。「電車内でジベタリアンは良くない(電車内に限らないけど)」「世界には食べたくても食べれない人がたくさんいる、だから私たちは食べ物を残してはいけない」「ドリンクバーで延々とおかわりを続ける(これはちょっと違うか)」等々。理由が分からないからそのルールを破るということはしないし、守らないといけないものということは認識しているが、ちゃんと万人が納得する明確なワケが知りたい。こういう時よく思い出すのが、サルとバナナのたとえ話である(興味のある方は調べてみてください)。きっとこういう経緯があるんだなとは思う。
自分にとっては立派な持論でも他人にとっては単なる呟きに見えるものです。そんなわけで今回の話は独り言だと思って流してくだせぇ。

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